密室の音楽

nicechoice2004-04-23

バイトの無い日は際限なく寝てしまう。まさに惰眠をむさぼるといった感じ。日も傾き始めた頃に目を覚ますと、すでに何もやる気がしなくなっている。
そういえば今日は、 デヴィッド・シルヴィアンのライブが人見記念講堂であるんだったっけ。昨年リリースされたアルバム"Blemish"は結構よく聴いていたので、来日公演にも行きたいと思っていたのだが、前売りはとってないし出かけていくのも億劫なのでCDで我慢することにした。
このアルバムは、ゲストにDerek BaileyFenneszが参加していたこともあり、話題になっていたようで、 英WIRE誌でも2003年のベストアルバムに選ばれている。僕もJAPAN時代を含め、デヴィッド・シルヴィアンにはあまり馴染みがなかったのだが、WIREや他の雑誌を読んで興味を持ったという感じだった。
前作までの音の傾向を知らないので、変わったのかどうかといったことはわからないのだが、徹底的に無駄な音が削ぎ落とされ、振動する声と電子音、ギターの音のみによって構成される音世界には独自の美学を感じる。ラスターノートン大友良英などのいわゆる音響派を思い起こさせる。しかし、そういったアカデミックな音響派との決定的な違いはデヴィッド・シルヴィアンの声がやはり紛れもない歌をうたっているという点にあるのだと思う。抑制された声からにじみ出てくるかのようなイメージは、聴くものの心に説明し難い感情を抱かせる。歌というものを自身の表現の中心に置いているアーティストは数多くいて、歌をどのように響かせるかということに、彼らはそれぞれ徹底的な探求を行っているのだと思う。デヴィッド・シルヴィアンも間違いなくその一人だ。僕が彼の音に感じるのは密室(実際に入ったことがないのであくまでイメージにすぎないのだがICCにある無響室のようなもの)の中で、音による空気の振動がじかに伝わってくるようなある種の閉塞感である。これは、人によっては気が滅入るとか、息苦しいという印象を抱かせる音像なのだと思う。音と自分以外の、周囲の一切の事物が捨象されてしまったかのような錯覚を覚えるのだ。密室で自分の歌を鳴り響かせようとするアーティスト、それがデヴィッド・シルヴィアンなのだと思う。
現実逃避気味の今の気分には、まさにぴったりの音楽ってわけだ。